最高裁判所第三小法廷 平成9年(あ)552号 決定 1998年12月25日
本籍
東京都千代田区一番町一番地
住居
沖縄県宜野湾市野嵩一丁目二七番一八号 玉城アパート二〇二号
会社役員
外間尹誠
昭和一五年八月一六日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成九年五月六日福岡高等裁判所那覇支部が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人早川晴雄、同伊礼勇吉、同山田勝一郎の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は本件とは事案を異にして適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)
平成九年(あ)第五五二号
上告趣意書
被告人 外間尹誠
右の者に対する所得税法違反被告事件について、上告の趣意は左記のとおりである。
平成九年八月一九日
右主任弁護人弁護士 早川晴雄
右弁護人弁護士 伊礼勇吉
同弁護士 山田勝一郎
最高裁判所第三小法廷 御中
記
目次
緒言
第一 第一審及び原審における審理の実状
第二 破棄事由の主張
一 憲法違反(刑事訴訟法第四〇五条第一号)
-証人諮問権の侵害(憲法第三七条第二項違反)
二 判例違反(法第四〇五条第三号)
-法第三二八条の解釈に関する判例違反
三 判決に影響を及ぼすべき法令違反(法第四一一条第一号)
1 任意になされたものでない疑のある自白の証拠採用
-法第三一九条第一項違反
2 証拠の証明力を争う証拠の申請を不当に却下
-法第三〇八条違反
四 判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認(法第四一一条第三号)
五 量刑の甚しい不当(法第四一一条第二号)
結語
緒言
本件上告の具体的理由は順次詳しく述べるところであるが、弁護人として第一審及び原審の判決を不服とする最も基本的な理由は以下の点に存する。
一 第一審においては、被告人の無思慮に基くいわば自業自得の結果であることは間違いないにしても、その審理は、刑事訴訟法が実体的真実発見のための最善の手続として想定する直接審理主義が全く機能することなく、事実上書面審理のみで終結し、しかも第一審判決の認定の根拠となった被告人及び参考人の検面調書が、すべて検察官によって捏造された「被告人の発意と主導による脱税」のストーリー(それは、共犯者である顧問税理士及び関係者の保身願望に基く被告人への責任のなすり付け供述に、検察官が全く疑問を抱かず、寧ろこれに便乗して脱税の実行行為者たる税理士乃至税務職員の刑責を免れしむべく被告人一人のみに責任を集中転嫁しようと企図したのではないかとの疑いすら抱かせる、それ自体常識的にも極めて不自然で、かつ真実に反するストーリーの組み立て方である)に基づいて作成されたもので、いずれもそのストーリーに符号するように供述記載が作為されているのであるから、相互に殆ど矛盾するところの無いのが当然であり(原審判決はこれを形式的に捉えて「原判決挙示の関係各証拠は相互に符合し格別不自然不合理な点はなく、その信用性は高い」と判示している。一五頁)、従って第一審公判廷に顕出された証拠を前提とする限り第一審判決は誤っていないのであるが、被告人が第一審判決言渡後、第一審の証拠となった参考人(共犯者を含む)の検面調書を初めて閲読してその供述内容の余りの非道さと、これを前提とした判決の重さに愕然として、自己の検面調書を含め第一審判決の証拠とされた検面調書がいずれも虚構に充ちていることを、原審で新しく選任した弁護人らに打ち明け、そこで弁護人らが右被告人の告白に基づいて第一審判決の根拠とされた書証の各供述にも面接し、その検面調書の供述記載の重要部分が真実に反していることを確認した結果、第一審判決が実質的には重大な事実誤認をしていることが明らかになった。
二 そこで弁護人らは、原審公判において右の被告人の告白内容と、これによって明らかとなった関係証拠の虚飾性を強く訴えて、被告人がそのように、検察官のストーリーに合わせた虚偽自白をして自己の刑責を認める、という異常な決意をするに至った経緯自体の真偽を検証するためにも、従前(捜査及び第一審)と基本的に相違する供述となることが予測される被告人に対する詳細な質問と、さらには不起訴となった共犯者ないし重要参考人のたとえ一人でも取り敢えず証人として直接尋問して検面調書の信憑性を検討され、事案の真相再確認の必要性を認識して戴いたうえ、改めて爾余の証拠の採否を決定することとされたい旨再三強く主張したにも拘わらず、原審は弁護人の主張に殆ど耳を借すことなく、事後審であることを楯にしたものか、検察官が、被告人の供述の変遷を明らかにするとの立証趣旨で証拠請求した被告人の否認段階を含む検面調書(検察官が弁護人の要請に素直に応じられて新しく弁護人に開示したもの)ほか若干の書証と被告人質問の請求を採用した以外は、後述のとおり弁護人申請の証人、書証の取調べ請求を全て不当に却下したうえ、被告人質問についても、一方的に尋問時間を短く制限して被告人の訴えんとするところを十分聞こうともしなかったという、刑事訴訟の本来の目的である「実体的真実の発見による刑罰法令の適正な適用実現と、裁判による被告人の基本的人権の保障(法第一条)」から凡そ掛け離れた審理のあり方は、実質的に同条項に違反するものというべく、実体的真実の発見よりも審理の事務的迅速化が重視されているのではないかとすら考えられ、第二審が事後審であることの理論的意義を論ずるより以前に、このような原審の審理のあり方で果たして、三審制を執る我が国の司法制度が正しく機能しているとして国民の信頼を得ることになるのだろうか、との深酷な懸念を拂拭し切れないのが、当弁護人らの真情である。
なお、原審判決では、被告人質問以外の真実の取調べを行わなかったことにつき、原審における弁護人申請の証人、書証を第一審で取調べできなかったことについての刑訴法第三八二条の二の「やむを得ない事由」に当たるとする疎明がなかったとして「取調べが義務づけられるものでない」とする一方、「当裁判所は、実体的真実発見の面も考慮して、弁護人請求の被告人質問等を採用し、取調べたが、右のとおり被告人の当審供述は信用することができず、」「原審取調べの(中略)関係各証拠の信用性に何ら疑念を抱かせるには至らなかったこと」によるものである(判決書二五頁)と一応の理由を述べているが、これらの説示が原審の空疎な審理の実体を糊塗した形式的な理由説示に過ぎないことは後述するとおりであり、また、被告人の原審供述を措信しない理由として「右のとおり」としているのは、その前段の理由説示において、被告人が原審で「捜査段階において、当初は被疑事実を否認し、平成七年三月八日ころまでは納得できる(判決書八頁では「概ね納得できる」と表示)調書が作成されていたが、(中略)同年三月一三日以降、虚偽の事実ではあるがこれを認めることにした」旨供述したにも拘わらず、その三月八日ころまでの検面調書の内容は、原審における(否認)供述と必ずしも同じでなく、むしろ脱税に関する外形的事実を自認する部分もあり、他方、同月一三日以降の検面調書でも、後述の決算報告書の差替指示を頑として否定していることなどを把えて、被告人の原審供述を信用できない、としている(判決書八~一〇頁及び二二~二四頁)ことを指称するのであるが、この理由づけ自体も、後に後述するとおり、原審は被告人の原審供述を真摯に聴取しようとせず、寧ろ極めて雑駁かつ類型的に歪曲した把え方をしたうえ、原審供述を排斥するための形式論理を構築したに過ぎないものであることが明白であって、何れにしても原審のこの判旨は、原審が証拠を極めて形式的、皮層的にしか見ないということの一つの証左とも言えるのである。
三 右に付加して強調したいのは、被告人に対する形責追及のあり方が、甚しく不公平で、著しく正義に反することが、抽象論としてではなく、被告人を取り巻く日常生活の具体的実感として指摘できるという点である。
それは、原判決が、被告人の犯情を極めて重大かつ悪質とする根拠として挙示している「共犯者である顧問税理士に指示して税務署に提出済みの決算報告書を過去六期分にわたって差し替えさせ、」「本件犯行が税務署職員をも巻き込み社会一般に衝撃を与えたものであることも無視することはできない。」(判決書二八、二九頁)という点であるが、まさに本末転倒の暴論であって、このことの刑法的評価は被告人と共犯者たる顧問税理士や税務署職員との間ではまさに正反対であるべきである。
すなわち右のような公用文書(決算報告書)が税務署に保管されていること、そしてその差し換えが可能だというようなことは、被告人始め部外者の凡そ考え及ばないことで、それを被告人の発意、指示のもとに、顧問税理士を介して現職税務職員が敢行した、などという凡そ常識的には考えられない事実を、たとえ実行行為者である税理士と税務職員が口を揃えて右のように供述したとしても、十分にその真偽を検討することもなく安易にこれを真実として認定してしまうこと自体極めて不合理であるのみならず、それが何れの発意によるものであれ、現職税務職員が刑法第二五八条の公用文書毀棄罪を敢行すること自体重大事犯であり、これを依頼教唆した税理士も職業倫理に背く悪質な犯罪者であって、むしろ一般人である被告人よりも責任が重いというべきであるにも拘わらず、両名とも刑責を全く追及されることなく、而も捜査段階において被告人及び他の共犯税理士のように取調べのための身柄拘束もされずに終わっているのに対し、一般人である被告人のみが前述のように徹底した厳しさをもってその刑責を追及される結果となっている点は、なんとしても不可解な処分であり、さらに、被告人と同時に本件脱税の共犯者として逮捕勾留された顧問税理士にしても、本来なら寧ろ依頼者の脱税意図を察知した場合にはこれを制止すべき職業上の義務があり乍らその義務に背いたのは、被告人よりも罪情が重いというべきであるにも拘わらず、結局は被告人一人のみが起訴されたうえ、共犯者らの刑責がすべて被告人に転嫁加重され、懲役二年という過重な実刑に処せられんとしているのに、他の共犯者らはすべて何の咎も無い、というのは、如何なる見地よりするも実感として余りにも不公平であり、このままではまさに著しく正義に反することになるものと信ずる。
第一 第一審及び原審における審理の実状
一 被告人は、第一審において控訴事実を全面的に認め、何ら争うことなく審理を終結したのであるが、もともと第一審の審理も、起訴前における本件公訴事実(被疑事実)に対する被告人の対応の延長に過ぎないのであるから、起訴前の実態を無視して第一審の審理の当否を論ずることは著しく妥当性を欠くものとすべきであるので、改めて本件起訴に至るまでの経緯を振り返ってみるに、被告人は本件での逮捕、起訴以前から、国税局の強制調査(査察)を受けていたのであって、右調査は、平成六年四月に開始されて一年近く続けられたが、この間、被告人は、査察官に対し終始一貫して、自己が税のことに関しては全く判らないので、日常の業務処理から税務申告までの税に係わることについてはその一切を顧問税理士に任せていた事実を説明し、脱税の事実、脱税の故意を否定し続けていたのであり(この点については、全面自白を覚悟した筈の第一審公判廷でもつい真情を吐露してしまっているのも、その真実性を裏付けるものであり、弁護人の公訴趣意書八頁で指摘したところである)、その後平成七年二月二七日に逮捕された後も、検察官の取調べに対し、引続き自己の認識に忠実に右の事実を訴え、被疑事実をきっぱりと否認していたのである。
右の被告人の主張が単なる否認ではなく、真実を訴えていたものであるなら、何故に起訴直前に至って全面的(虚偽)自白に転じたか、との当然の疑問が生ずるのであるが、次のような経緯を素直に見るならば、自己の事業に自らの命を掛ける程の気概を有する被告人が、刑事事件に経験豊富な弁護人の訴訟戦略の下における身柄の解放のための唯一の方法としての虚偽自白への説得を信じ込んで、苦しい打算的価値判断のもと、真実の主張を断念し、虚構事実を認めることにしたとの心情は、十分理解できるのであり、人生の岐路に立たされた刑事被告人の対応として一般的にもあり得ると信ずる。
すなわち、本件調査及び捜査を受けることとなった当時、被告人は、沖縄、東京、中国などで活発に事業を展開しつつあったことから、逮捕後は、身柄拘束から脱してビジネスに一刻も早く復帰することを唯一かつ切実な目的としていかので、その目的を達成するためには早期に保釈を得たうえ、最終的には無罪放免、それが叶わぬまでも何としても執行猶予付判決を獲得したいと念願し、その真情を大濱弁護人に訴えてその助言を求めていたのである。
これに対し、大濱弁護人は、接見の当初から、被疑事実については「自分は絶対に脱税した覚えがない。税理士に相談してすべて任せていた」と訴える被告人に対し「お前の言っていることは出鱈目だ。脱税だ」「お前の言うとおりにしたらここを出られないぞ」と一方的に叱責するのみで(原審第二回被告人供述七三、八〇)、否認していると早期保釈は取りにくいこと、従って、否認すると身柄拘束のまま裁判は長期化すること、否認しても有罪認定はまず間違いないので、その場合にはむしろ情状は悪くなり量刑は重くなって執行猶予は到底期待できないこと、などを踏まえ、被告人の目的とするところを達成するには、虚偽でもいいから事実を認める形の調書に署名すべきであること、第一審公判でも、事実を争わず、検察官請求証拠には全面的に同意して改悛の情のあることを形に示したうえ、もっぱら情状立証(税納付を含む)に徹するべきであることを勧告した。
そこで、被告人も身柄拘束を避けたいばかりに、不本意乍ら弁護人の勧告に従うことを決し、起訴前に、それまで真実を訴え、被疑事実を否認していたのを翻して、検察官によって予め作成された虚偽の自白調書に署名し、第一審公判でも、真実を争わず、検察官請求証拠については、その内容も全く確認しないまま証拠とすることに同意した。
しかるに、第一審では、保釈は早期に叶い、審理も迅速に行なわれたものの、被告人、大濱弁護人の見込みに反し、被告人に実刑判決が下されたことから、被告人は愕然として直ちに控訴し、さらにその後、第一審で無条件に同意した関係者の調書に初めて目を通した結果、山川、幸喜その他関係者全員が、ありもしない事実を平然と供述し、被告人ひとりに無実の罪を押しつけていることに憤慨し、むしろそれなら、自分が真実と認識するところに従った主張、つまりは、国税調査時や逮捕勾留当初に供述していた事実関係に従って主張をして裁判所に真実を訴えたいと思い定めるに至った。
二 そこで、控訴審で新たに選任された弁護人は、被告人が真実と認識する事実を、控訴趣意書に記載し、これを立証するため、原審において、被告人質問のほか、証人九名、被告人作成供述書二通、大濱弁護人作成上申書一通、右証人のうち二名作成の陳述書二通の各取調べを請求した。
しかし、原審では、右のうち、被告人質問(ただし、弁護人は、弁護人側の質問所要時間として四時間を請求したのに対し、裁判所は一方的にこれを一時間と制限し、事実上は、検察官の質問、弁護人の再質問時間も含めて約二時間三〇分で終了させられた)と被告人作成供述書二通が採用されただけで、その余の事実調べ請求は、すべて却下された(弁護人異議申立て、異議棄却)。
弁護人は、右却下されたもののうち、上申書一通、陳述書二通について、改めて、刑事訴訟法第三二八条の証拠として請求し、検察官もこれには敢えて反対することなく、「しかるべく」との意見を述べるという公正な態度だったにも拘らず、原審裁判所は、これらの証拠も採用せず、弁護人の請求を却下した(弁護人異議申立て、異議棄却)。
一方、弁護人からの証拠開示請求に応じて、検察官は、第一審で未請求の被告人虚偽自白に至る以前の否認段階を含む供述調書を開示するという、公訴官として極めて誠意のあるフェアな対応をされたうえ、供述の変遷を立証趣旨として、これらをすべて証拠請求し(弁護人同意)、採用された。
以上が、原審の審理経過の概要である。
第二 破棄事由の主張
原判決には、次の各破棄事由が存在するので、破棄されるべきである。
一 憲法違反(刑事訴訟法第四〇五条第一号)
-証人喚問権の侵害(憲法第三七条第二項違反)
原審裁判所が、前述のように、弁護人請求の証人(九名)を一人も採用せずに審理を終えている点は、憲法で保障された被告人の証人喚問権を侵害するものとして許されない。
1 憲法第三七条第二項は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、また、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」と規定して、被告人に証人審問権、同喚問権を保障している。これは、自己に有利な証人を喚問したり、不利な供述をする者に対して反対尋問することによって、被告人に、裁判所のする事実認定の過程をコントロールする機会を充分に与える趣旨である。
他方、刑事訴訟法第三九三条第一項は、控訴裁判所の事実調べをする範囲について、「前条(控訴趣意書に包含された事項及び職権調査事項)の調査をするについて必要があるときは」と規定し、必要性の要件を定めたうえ「請求により又は職権で事実の取調をすることができる」としている。
しかるに、原審裁判所は、前述の通り、右要件を満たさないことが明らかであるとして、弁護人請求にかかる証人及び書証の取調べは義務付けられるものではないとするとともに、被告人の控訴審供述は信用することができず、第一審取調べの各証拠や第一審被告人供述の信用性に何ら疑念を抱く余地は無いことを理由として、事実の取調べを「不要」と判断し、これを却下している(判決書24、25ページ)。しかしながら、被告人の控訴審供述の信用性が乏しいとする根拠が誤りであることは緒論でも触れ、後に詳しく述べる通りである。
そこで、原審裁判所の右判断が、憲法の右規定に反するのではないかが問題になる。憲法の規定は、無論、第一審に限定した規定ではなく、刑事裁判全般に及ぶものであり、憲法の右規定との関係で、事後審とされる控訴審の事実調べの範囲、必要性がいかにあるべきかが問われなくてはならない。
2 戦後、憲法の改正によって、刑事被告人の証人審問権、同喚問権が明文で保障されたことを受けて(直接主義の採用)、刑事訴訟法では、供述証拠の証拠能力を規制した(伝聞法則)。ところで、事件の実体について直接主義で審理するということは、心証採取、供述の信用性判断その他の観点から、一回性の性質を持つ。そこで、刑事訴訟法は、直接主義を導入する反面、実体的事実認定については、直接主義に基づく心証採取を最初に行なう第一審裁判所の優位を認めて、控訴審を事後審とした。
3 そして、このように、事実認定についての第一審裁判所の優位ということを前提にすれば、控訴裁判所の事実調べの範囲は、いきおい抑制的にならざるをえない。殊に、経験則説と言われる立場は、第一審の事実認定における自由心証をいわば聖域と見て、控訴審が、事実誤認について審理するにしても、その範囲は、第一審裁判所が自由心証の範囲を逸脱した経験則違背の部分に限られるといい、その余の事実取調べは、刑事訴訟法第三九三条第一項の必要性の要件を満たさないとする。
このように、控訴審の事実調べの範囲を狭く捉える立場は、経験則説にせよ、それ以外の立場であるにせよ、控訴審の根本的存在意義である救済的性格、刑事訴訟全体の目的である実体的真実発見(刑事訴訟法第一条)の見地からは、批判されなくてはならないが、こと、事実認定の優劣ということに問題を絞るならば、第一審の事実認定が直接主義に基づくもの(憲法の証人審問権、同喚問権が充分に保障された結果のもの)である限り、現行法の予定するところに合致した運用であると言え、その限りでは、そのような運用をしたとしても、証人審問権、証人喚問権の侵害の問題は生じ得ない。
逆に言うと、控訴審での事実調べの範囲を抑制的に解しても、証人審問権、証人喚問権の保障を侵したことにはならないのは、第一審で、直接主義が充足されている(その結果、その事実認定に優位性を認め得る)場合に限られる、ということになる。
4 しかしながら、現行法の第一審の直接主義には、大きな例外が設けられており、
<1> 被告人が事実を争わない場合には、法第三二六条(被告人が証拠とすることに同意)によって、捜査機関作成の供述調書が証拠採用され、一般的には、本来「書面が作成された時の情況を考慮し相当と認められる時に限り」との限定があることがほとんど無視される形で、その信用性については、格別の吟味を経ないまま事実認定の資料とされ
<2> 事実に争いがある場合には、捜査機関特に検察官作成の供述調書が法第三二一条ないし第三二二条該当書面として証拠申請されて、その証拠能力に関する任意性、特信性、信用性の判断をめぐって審理が展開することになる
など、伝聞禁止の例外規定による書面主義的運用が定着している。
5 その結果、第一審裁判所は、直接主義によらずに心証形成することになるが、このようにして形成された心証についてまで、それが第一審の認定だからということで優位を認めるべき理由は全くない。この場合には、控訴審裁判所が、経験則説によるにせよ、他の立場によるにせよ、事実調べの範囲を抑制的に解する根拠は全く失われる。
前述のように、控訴審での事実調べの範囲を抑制的に解し得るのは、第一審での直接主義充足が前提になる。その前提を欠いたまま、控訴審の事実調べの範囲を限定し、被告人が喚問を要求している証人を喚問しないのは、憲法に違反する。
以上から、第一審で直接主義による審理がなされていない場合には、刑事訴訟法第三九三条第一項の事実調べについての「必要性」の判断は、憲法が被告人に認めた証人審問権、証人喚問権の保障を侵さない範囲内において、なされなくてはならない、ということができる。
6 以上を前提に、本件控訴審の事実調べの範囲を検討する。
<1> 原審の事実認定は、すべて供述調書その他の書面によって行なわれており、事実関係に関しては、一人の証人も取調べられておらず、被告人質問も、前述のとおり質問時間が厳しく制限された結果、極めてお座なりな形式的なものに終わらざるを得なかったのが実情で、直接主義による事実認定は、実質的には全くされていない。
従って、本件では、第一審の事実認定に優位を認めるべきではなく、控訴審の事実調べの範囲を狭く限定すべきでない。この場合には、刑事訴訟法第三九三条第一項の事実調べの「必要性」の判断は、被告人の証人審問権、証人喚問権を実質的に否定することにならないことを前提として、なされなくてはならない。
この点、弁護人も、漫然、証人請求をしているのではなく、右の「必要性」については、充分な疎明をしているのである。つまり、弁護人は、被告人が捜査段階及び第一審における供述を変遷させた理由を合理的に説明し、その裏付けになる否認段階における供述調書も開示させるとともに証拠請求させ(同意書面)、また、独自に証人予定者全員に面談して、彼らの検面調書の供述記載に、真実を歪曲し或い真実と全く反する部分のあることを確認できたからこそ、証人尋問の請求もしたのであり、そのうち、本件における中心的役割を果たしている代表的ケースの二名(山川、幸喜)からは、かれらの検察官調書が虚偽内容である旨の陳述書を、現に徴収している。
このように、第一審の書面主義による反対尋問を経ない供述による事実認定に対し、相当の合理的疑いを差挟み得べき具体的資料に基づき、必要性が充分あることを詳細に疎明したうえ、弁護人は、第一審では一切なされなかった証人尋問の請求をしているのである。
従って、本件の控訴裁判所が、被告人の請求する証人をいずれも「必要性なし」として却下して採用しないまま審理を終結したのは、被告人の証人喚問権を侵すものとして違憲である。
<2> 原審は、右のような「必要性なし」という判断をした理由として、第一次的に、被告人の控訴審供述が信用できないことを挙げ、その根拠として、前述のとおり「被告人の控訴審供述によれば、虚偽の自白をする前の段階で、(概ね)納得できる調書が作成されていたとされる平成七年三月八日ころまでの調書においても、控訴審の被告人供述の内容と異なる供述をしている」点を頻りに指摘している。
しかし、被告人は、平成七年二月二七日から三月八日までの一五通の調書について「その期間のものは、私の言い分が七〇パーセントないし八〇パーセントは書かれています」(控訴審第四回調書「八〇」)と述べるのみで、何もこの期間中の調書に自己の真実と認識するところが一〇〇パーセント記載されているとは述べていないのであり、右供述も、その前後の質問と応答の流れからすれば、その趣旨は、署名を許否した三月一〇日付調書及び大濱弁護人の勧奨によって署名に応じた三月一三日付以降の調書に比べれば、まだ自己の言い分が「七〇パーセントないし八〇パーセントは記載されていた」という相対的、消極的な評価を述べているだけのものであることは明らかである。
原審判決は、右のような事情を一切無視し、被告人が原審段階において、三月八日付以前の調書の記載は、被告人にとっても一〇〇パーセント異議のないものと供述しているが如く敢えて独断(前述の判決書の「納得できる調書」との表現は、原審第二回公判における弁護人の「あなたの納得できる調書をいつごろまで作ってくれましたか」との質問に対する被告人の「一三、四日頃までです」との答[調書九六]を援用したものと推察されるが、この答は、客観的には「八日ごろまで」が正しいのであり、同公判廷での被告人の供述には他にも認識の不正確なままの表現が各所に見られ、例えば、逮捕は、正しくは、二月「二七日」なのに、これを「二四日」[調書五八]と述べ、その他調書への署名許否の日時、大濱弁護士人との接見日時に記憶違い[調書九七、九八、一一九、一三八]があるなどの点に鑑みれば、前述の「納得できる調書」という表現に対する被告人の理解も、必ずしも厳密なものでなかったと解するのが相当であり、原審は、右の「七〇ないし八〇パーセント」という稍具体的な表現を敢えて無視するか見落とすかしている)したうえ、専ら、右調書の記載に、控訴審の公判供述と相反する部分が一部にしろあるのは、一〇〇パーセントと矛盾するという点を指摘することのみによって、控訴審供述全般の信用性の判断を行なっているのであって、その方法及び判断内容は、結論的には、証拠に基づかない、皮相的、一面的なものであると評価せざるを得ない。
そうすると、弁護人の証人請求に対する必要性の判断も、控訴審の被告人供述に対する、右のような誤った評価を基礎としてなされたものであるから、同じ誤りを侵していると言わざるを得ないのである。
<3> なお、付言するに、控訴裁判所は、前述の経験則説(直接主義による第一審の自由心証の優位を認め、経験則違背だけを事実誤認とする立場)は採っておらず、控訴裁判所自らが事実認定そのものを直接行ない、それを第一審の事実認定と比較したうえ、両者が合致することをもって、第一審の事実判断に誤認はないと判断をする手法を採っている。この場合、第一審の事実認定と控訴審の事実認定が異なった場合には、第一審判決は事実誤認で破棄されるのだから、この手法は、控訴審の事実認定に優位を認める立場と言える。この場合、第一審の事実認定に優位を認め得ないのは、第一審が直接主義によっていないからにほかならない。
そして、そうであるならば、控訴審では、直接主義の審理を採用し、被告人に証人に対する反対尋問を充分にさせて、証言の信用性判断を慎重に行ない、一回性の心証形成を行なう必要があるのである。
この手続きを経ずに、漫然と、第一審の書面主義による証拠関係を前提にした事実認定を繰り返すことは、自ら優位を認め得なかった第一審と同じやり方で事実認定をすることと同じであって、第一審の事実認定に優位を認めないが故に、自ら事実認定に乗り出した控訴審の態度に矛盾するのである。
原審が、右のような判断手法を採用している以上、この観点からも、証人尋問は「必要」なものであったと言えるのである。
7 以上いずれにしても、右証拠が適法に採用されていたならば、関係者らの検面調書の供述の信用性などが減殺されるなどして、被告人の犯罪事実及び量刑の認定に多大な影響及ぼしたであろうことは明らかであるから、右破棄事由が「判決に影響を及ぼさないことが明らかである」とは到底言えない。
二 判例違反(法第四〇五条第三号)
-刑事訴訟法第三二八条の解釈に関する判例違反
弁護人は、第一審での被告人の有罪認定の有力証拠とされていた山川らの供述調書の信用性について、前述のように、控訴審段階で独自に調査し、同人らとも面談の上、特に、山川、幸喜からは、右供述調書とは大きく異なる内容、被告人の弁解に添う内容の陳述書の提出を受けていた。そこで、一時的には、同人ら自身を証人として請求し、かつ、右陳述書を実質証拠として請求したが、いずれも証拠採用されなかったので、二次的に、右陳述書を刑事訴訟法第三二八条に基づく証拠として請求し、検察官は、これに対し率直に「しかるべく」との意見を述べた。
しかし、原審では、右請求を却下し、その理由として「その立証趣旨によれば自己矛盾の供述を問題とするものでないことが明らかであること」を挙げている(判決書25ページ)。
この点について、東京高裁昭和三一年四月四日判決は、要旨「法第三二八条によって提出し得る供述はいわゆる自己矛盾の供述に限られない」から「証明力を増強する場合であっても防げない」としているところ、右原審の判断は、この判例に相反し、刑事訴訟法第三二八条で提出できるのは、もっぱら自己矛盾の供述の場合だけであるかの解釈を示しているので、以下、検討する。
1 まず、右のいうところの、弁護側の立証趣旨であるが、たしかに証拠関係カードを弁護人が事後的に調査した結果では「被告人の検察官に対する供述の証明力を争うための法三二八条の証拠」とだけ記載されている。
しかし、これは、裁判所による、カードの明白な誤記であり、弁護人は、法廷では、口頭で「山川、幸喜の検察官に対する供述の証明力を争う」「被告人の検察官に対する供述の証明力を争う」及び「被告人の控訴審公判での供述の証明力を増強する」趣旨である旨発言した。これが、カード上は、右のようにその一部のみが記載、録取されていたのである。
以下この点について敷衍する。
<1> 弁護人は、まず一時的には、右の陳述書を実質証拠として請求していたのであり、その際の「事実取調請求書」(平成八年一二月一二日付)には、立証事項として「山川宗孝の検面調書の記載は、本人の認識と全く異なるものであること、よって右調書の信用性は著しく低いこと」と記載し、まずは、当該陳述書の記載と検面調書の内容に自己矛盾があることを第一に掲げ、そのうえで、控訴審公判で被告人が供述した内容に合致した諸事実の立証を掲げているのである(幸喜の陳述書も同じ)。
このように、実質証拠としての立証趣旨にさえ、自己矛盾の点を掲記している弁護人が、法三二八条の証拠としての請求に対して、この点をあえて省略するはずがないのであり、この点のカードの記載が誤りであることは明白である。総じて、カードの立証趣旨の記載は簡略に過ぎ、例えば、右の山川の実質証拠としての請求に関する弁第一三号証の記載をみても、「事実取調請求書」では縷々述べられている立証事項が、一言で片付けられているのである。甲第一七号証、甲第一八号証の立証事項の記載も、右のような簡略化から生まれた誤りであると考えられる。
<2> また、法第三二八条の証拠としての立証趣旨については、弁護人は弁論要旨の中でも触れているところであり、その一〇丁裏から一一丁表をみるに「原審の被告人供述及びこれに符合する供述記載の多い参考人らの供述調書を弾劾するための証拠として」さらには「当審での被告人の供述の信用性を一層高めるために」これらの陳述書を法三二八条の証拠として請求をした旨が明記されている。
<3> なお、裁判所が、弁護人の主張する立証趣旨を「被告人の検察官に対する供述の証明力を争うための弾劾証拠」と解釈し(誤解し)、これでは自己矛盾に当らないということを理由として、証拠請求を却下するという重大な結論を導くのであるなら、裁判所は、弁護人の事実調請求書の前述立証趣旨の記載にも鑑み、この点について、念の為予め弁護人に釈明すべき義務があったと言わなくてはならない(この点は、法令違反に関して後述する)。
<4> 以上、整理するに、山川らの陳述書についての、弁護人の真の立証趣旨は、右弁論要旨に述べたとおりであり、そのなかには「山川の検面調書の証明力を争うため」という自己矛盾の点も含まれているのだから、原審裁判所が、この点を看過し、自己矛盾の供述であるにもかかわらず証拠請求を却下したのは、前掲判例が、刑事訴訟法第三二八条には、自己矛盾供述を含むことを当然の前提にしている解釈に相反する。
2 また、弁護人の真の立証趣旨の中には「控訴審での被告人の供述の証明力を増強するため」という点も含まれていた。この点について、前掲判例は「法第三二八条によって提出し得る供述はいわゆる自己矛盾の供述に限られない」ことをまず前提にしつつ「証明力を増強する場合であっても妨げない」としている。右のうち、前段は、Aの供述の証明力を争うために「自己」でない「他人」Bの供述を用い得ることを述べており、後段は、その「証明力を争う」ということが、弾劾に限られず増強でもよいということを述べている。
そうであるとすると、右のように、山川の陳述書の供述記載をもって、被告人の公判供述の証明力を増強することも許されるというべきであるから、この点を看過して、請求を却下した原審の右判断は、右判例に相反している。
3 次に、仮に、弁護人の立証趣旨がカード記載のものに限られたとしても、右判例の前段の趣旨からすれば、山川の陳述書をもって、被告人の検面調書の供述の証明力を弾劾することも許されることになるから、この点について、あたかも刑事訴訟法第三二八条は、自己矛盾の供述に限られるかの解釈をしている原審の判断は、右の判例に相反する。
4 さらに、仮に、弁護人の立証趣旨がカード記載のものに限られたとし、加えて、刑事訴訟法第三二八条では、「自己」でない「他人」の供述を用いることまでは認めていないと仮定しても、山川の陳述書中には、被告人が山川に供述した内容が記載されており、他方、被告人の検面調査中には、山川が被告人に供述した内容が記載されている(幸喜も同じ)。
そして、山川陳述書中の被告人の「供述」部分と被告人の検面調書の「供述」は、同じ「被告人の法廷外の供述」でありかつ自己矛盾があり、また、被告人の検面調書中の山川「供述」部分と山川の陳述書(供述)は、同じ「山川の供述」でありかつ自己矛盾がある。従って、右の前提に立っても、本件の請求は、自己矛盾の点を含んでいるのであり、この点を看過し、自己矛盾の供述であるにもかかわらず証拠請求を却下したのは、前掲判例が、刑事訴訟法第三二八条には、自己矛盾供述を含むことを当然の前提にしている解釈に相反する。
5 以上いずれにしても、右証拠が適法に採用されていたならば、山川、幸喜らの陳述書によって、第一審判決の認定事実とは異なる事実が明らかになるとともに、同人らの検面調書の供述記載の信用性も減殺されるなどして、被告人の犯罪事実及び量刑の認定に多大な影響を及ぼしたであろうことは明らかであるから、右破棄事由が「判決に影響を及ぼさないことが明らかである」とは到底言えない。
三 判決に影響を及ぼすべき法令違反(法第四一一条第一号)
1 任意になされたものでない疑いのある自白の証拠採用
-刑事訴訟法第三一九条第一項違反
原審及び第一審の各判決は、被告人の有罪認定の主要な証拠として、被告人の検面調書の供述記載及び第一審公判廷における供述を挙示し、その何れもが被疑事実を事実と認識したうえで自白したもので、その信用性が優に認められるとし、逆に、原審判決では、被告人の原審供述を措信できないとしているのであるが、その認定の誤りであることは別途詳述したとおりであり、むしろ被告人の原審供述こそ、その真情を吐露した信憑性の高いものと言うべく、そのことは、原審では、検察官の同意が得られなかったため、法廷に顕出されずに終った第一審弁護人大濱弁護士作成上申書でも裏付けられる筈だったのであるが、この被告人の原審供述によれば、被告人の検面調書の供述記載及び第一審供述が、被告人としては、被告人の真実の認識と全く異なる虚偽の事実であることを承知し乍ら、強制捜査による身柄拘束から一刻も早く解放され実刑の執行をも免れないとの一念から、第一審弁護人の「虚偽で認めるべし」との切迫した勧奨によって已むなく供述し、或は捏造された供述記載のある調書に署名押印するに至ったものがあることが明らかであって、まさに任意性に疑いあるものと断ぜざるを得ないのである。
すなわち、原審は、このように任意性に疑いのある被告人の供述記載及び法廷供述を証拠として控訴事実を認定した点において、刑事訴訟法第三一九条第一項に違反するものである。
この点に関する判例として、次のものがある。
<1> 第一審判決が、被告人の司法警察員に対する供述(自白)調書その他の証拠と総合して犯罪事実を認定し、原判決もまたその自白の任意性を認め、第一審判決の右採証を是認している場合、諸般の証拠上、右自白の任意性に疑いがあると見るのが相当で、かつ、同自白が犯罪事実認定の有力な証拠となっていると認める時は、刑事訴訟法第四一一条第一号により、原判決を破棄することができる(最判昭和三三・六・一三刑集一二・九・二〇〇九)。
<2> 記録にあらわれた証拠関係を検討すれば、犯行の外形的事実と被告人の結びつきについて、合理的な疑いを容れるに足りる幾多の問題点が存し、原判決が、被告人の自白に信用性、真実性があるものと認め、これに基づいて犯行を被告人の所為であるとした判断が支持し難い時は、刑事訴訟法第四一一条第一号、第三号により、原判決は破棄を免れない(最判昭四五・七・三一刑集二四・八・五九七)。
2 証拠の証明力を争う証拠の申請を不当に却下
-刑事訴訟法第三〇八条違反
前記「二」の「1」<3>にも記載したとおり、原審裁判所は、弁護人の刑事訴訟法第三二八条に基づく請求について、立証趣旨を問題にしてこれを却下することにしたのなら、その段階で、証拠決定に先立って、念の為、立証趣旨について確認ないし釈明すべき義務があったというべきであり、これを怠ったために公判調書の記載の不正確さに気付かず、誤解した立証趣旨を理由に、証拠請求を却下した決定は違法であり、このことは、公判調書の正確性の保持義務ないし釈明義務違反に基づく審理不尽にも繋がる明らかな法令違反である。
右の点についての釈明を経ていれば、弁護人は、当然、自己矛盾の主張を明確に行ない、公判調書の証拠等関係カードの立証趣旨に関する誤記も起こらなかった筈であり、その結果、少くとも、山川、幸喜の陳述書は証拠採用されることになり、両名の検面調書の証明力は大幅に減殺されたであろうことは確実である。
そうであれば、これが判決に影響を及ぼすことは明白で、この場合、原判決を破棄しなくては、著しく正義に反することになる。
本件における右の釈明義務は、<1>実質証拠の請求書には自己矛盾の点が明記されていること、<2>検察官すら「しかるべく」と述べて証拠採用に同意していること、といった本件の具体的状況、並びに、<3>法が、裁判所は弁護人に対し、証拠の証明力を争う機会を与えなくてはならないと規定し(刑事訴訟法第三〇八条)、さらに証明力を争うことができることを告知すべきものと規定して(刑事訴訟規則第二〇四条)証明力を争う機会をすべからく確保させようとしていること、さらには、<4>釈明をしない結果の重大性(弁護人請求証拠の却下)などから、用意に措定することができる。
四 判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認(法第四一一条第三号)
原判決は、被告人の控訴審公判供述の信用性を不当に低く評価し、第一審の関係供述の信用性を不当に高く評価した結果、次に列挙する真実をいずれも看過し、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認を犯しており、原判決を破棄しなくては、著しく正義に反する。
1 被告人は、税に関する知識に乏しく、日頃から、税理士四名を顧問とし、その指示の下に各種取引を行なっており、税務申告も税理士任せであったこと。海邦興産の株式売買及びそれについての税務申告も同様であったこと。
したがって、被告人は、本件税務申告について、脱税の故意や違法性の意識は有していなかったこと。
2 山川は、当初から海邦興産株式一六株の真実の株主であったこと。
被告人は、山川が海邦興産の株主総会で被告人を支持してくれたことや、本件株式売買についての情報提供をしてくれたことなどへの感謝の意と報酬の趣旨を含めて、山川に、一六二株を真実譲渡したこと。
山川は、右の合計一七八株を国場に売却し、被告人は、山川が得た右売却代金から、事業資金として一〇億円を借用したこと(そのうちの四億円は「3」参照)。
3 被告人は、右一〇億円のうち四億円について、本件株式売買の関係者らに支払う調整費その他の経費に充てるため、幸喜にその処理を一任したこと。
幸喜は、右四億円を、関係者らに本件売買の経費として支払ったこと。
4 被告人は、右四億円とは別に、幸喜(沖縄大伸)自身の、本件株式売買に関する貢献(交渉、調整、取纏め)に対する手数料及び報酬として、沖縄大伸に二億円を支払ったこと。
被告人は、本件株式売買の関係者に支払う調整費その他の経費として、真栄城(ジャパンシステム)に四億五〇〇〇万円を支払っており、真栄城は、これらを関係者らに本件売買の経費として支払ったこと。
右金員は、当然のことながら、いずれも被告人には還流しておらず、関係の領収証は、すべて真実のものであること。
後者の領収証が、のちに四億円分増加したのは「3」の四億円の支出を反映したものであること。
5 被告人は、島袋税理士に、合法的な修正申告を依頼しただけであり、同税理士の公文書差替について、その指示ないし依頼などを一切していないのは勿論のこと、当該事実の存在自体を全く知らず、後に至ってこのことを知るや、同税理士を詰問するとともに、同人との顧問契約を解除したこと。
五 量刑の甚だしい不当(法第四一一条第二号)
万が一、被告人の控訴審における供述が全面的に採用されず、原審認定事実の一部でも肯認されると仮定した場合でも、本件脱税とされる事実の税務申告については、すべて顧問税理士が代理として直接担当し、或いは脱税の手段とされる取引行為に被告人以外の者が関与するなどしていることは客観的に明らかであり、それ故にこそ、被告人以外の三名の者も被告人の共犯者として同時に強制捜査の対象とされ、三名とも本件脱税に何らかの形で加功した客観的事実は認めているにも拘らず、刑責を追及されているのは被告人一人だけであり、前に述べたとおり、本来ならば職業倫理ないし社会的責任として、むしろ依頼者の脱税意図を察知したらこれを阻止すべき義務すら課せられている筈の税理士たる共犯者こそ、一般納税者で申告をすべて顧問税理士に一任している被告人よりも重い責任を負担すべきが常識的感覚と思われるのに、如何なる事情によるものか、検察官は被告人のみを訴追し、その結果本件脱税の全責任を被告人独りが贖うという形で過重な懲役二年の実刑に処せられようとしているのは、極めて公平の理念に背き、著しく正義に反することであり、従って共犯者が処罰されないまま被告人のみを懲役二年の実刑に処するのは、その点だけでも既に量刑が著しく不当というべきである。
さらには、被告人自身の情状としても、被告人が本件の本税を完納し、その余についても充分な担保提供をしている結果、国家の徴税権の侵害は実質的にないこと、被告人がその独特の才覚により、沖縄、東京、中国で活発にビジネスを展開し、日本の経済的発展に大いに貢献していること、従って被告人が本件で服役することになれば、右ビジネスもすべて水泡に帰すること、政財界その他多くの知人、友人から、被告人の人格に偽りなきことを示す夥しい数の「嘆願書」が被告人を通じて裁判所に寄せられていること、などを総合考慮するならば、被告人の量刑は、甚だしく不当であり、原判決を破棄しなくては、著しく正義に反することが明らかである。
結語
以上述べたように、弁護士が上告申立ての理由とするところは、第一次的には、原判決の憲法違反、判例違反であり、併せて第二次的に、職権による原判決の破棄事由として、判決に影響を及ぼすべき法令違反、重大な事実誤認、量刑の甚だしい不当を指摘したのであるが、所詮は、原判決に現れているように、第一審判決の基礎となった証拠の殆どすべてが書証その他の間接証拠であって、実質的には、直接審理による真実発見の機能が働かないまま終わり、しかもその各証拠の信憑性、任意性に重大な疑いがあるとする被告人の深刻な訴えが原審裁判官になされた以上は、若し、被告人の訴えるところが真実であるならば、第一審の事実認定が根底から覆ることになるのであるから、原審としては、少なくとも被告人の訴えんとする内容を、できる限り詳しくかつ直接聴取することによって、その真偽を慎重に検討し、被告人以外の書証の供述者についても、念のため、その中のたとえ独りでも直接尋問して心証を取ってみるということが、実体的真実発見という刑事訴訟法の基本理念に添うために最少限度必要なことと信ずるのであるが、原審は叙上のとおり、憲法や法令に違反するような空疎な審理を実施したのであり、このことは、原審で被告人が懸命に真実を訴えかけた被告人質問の際にも、原審裁判官は、弁護人及び検察官の質問に任せて供述を一方的に聞くのみで、裁判官の誰一人として一言の補充質問もすることなく、ただ質問の制限時間を遵守すべき旨の訴訟指揮のための督促発言が時々聞かれるのみであったという、まさにお座なりな審理の実情にも端的に現れているということについての遺憾の念を、弁護人としては表明せざるを得ないのである。
若し原審が、今少し被告人の言わんとするところを、たとえ些か煩雑に亙るところがあっても、これを充分述べさせて虚心に聞くという対応を、審理の中でお示しあったならば、その結果がたとえ被告人の意に添わぬ、今回と同じ結論となったとしても、被告人としては、それなりに裁判に納得するものがあったであろうと、弁護人としては確信できるのであり、それを刑事政策的配慮と評価するか否かにかかわらず、まさにそれが刑事裁判のあるべき姿ではなかろうかと僣越ながら愚考する次第である。
最高裁判所におかれては、以上に述べたような本件の審理のあり方とそれに乗った原審判決の当否を大局的に御検討相成り、是非とも原判決破棄差戻しによって、本件を再度真に適正な審理に乗せ、実体的真実発見と被告人始め関係者の司法に対する信頼回復の機会を与えられんことを、衷心よりお願いする次第である。
終わりに、当主任弁護人が最近読む機会を持った法律家佐藤欣子氏の短文中に、まさに本件について我々が強く訴えたいと願っていることに触れた論旨を発見したので、参考までに付記させて頂きます。
「かつて明治維新の第一の功労者、西郷隆盛は『文明とは、正義の広く行われること』と言った。『それは宮廷の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華をいうにあらず』と彼はつけくわえた。正義が広く行われることこそ、文明のバロメーターなのである。そして正義が広く行われるためには、まず実体的な真実が明らかにされ、刑罰法令が適正・迅速に適用されなければならない。しかし事案の真相を明らかにするためには、いうまでもなく、法執行の任務を担う関係者の真実追求への強い使命感と責任感、そしてそれを支える国民の協力が必要である。」(平成九年八月五日付産経新聞朝刊「正論」より抜粋)
以上